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第62回:人を育てる人もまた、育てられている

目次

人を育てる立場になると、いつの間にか「教える側」と「教えられる側」という関係ができていきます。上司には、これまで積み重ねてきた経験があります。成功したこともあれば、失敗したこともある。遠回りをしたからこそ分かったこともあるでしょう。だからこそ、経験の浅い部下が悩んでいる姿を見ると、

「それなら、こうした方がいい」

「そのやり方では、きっとうまくいかない」

と、つい教えたくなります。

それは決して悪いことではありません。経験は、とても貴重な財産です。自分が転んだ場所を伝えることで、相手が同じところで転ばずに済むこともあります。しかし、少しだけ違う角度から考えてみたいと思います。

そのアドバイスは、自分がこれまで経験してきた世界の中から導き出した答えではないだろうか

経験を重ねるほど、私たちは多くの答えを持つようになります。その一方で、

「普通はこうする」

「以前はこれでうまくいった」

「この方法が一番いい」

という、自分なりの枠も少しずつつくられていきます。経験が豊富であるからこそ、その経験の外にある可能性が見えにくくなることもあるのではないでしょうか。これまでのブログでは、人を育てるためには、あえて口を出さず、相手の可能性を信じて待つことも大切だとお伝えしてきました。しかし、信じて待つことで育っているのは、本当に部下だけなのでしょうか。こちらが答えを言わなければ、部下は自分で考えます。自分なりに悩み、試し、時には失敗しながら、自分の答えを探します。すると時として、上司が思いもしなかった方法を選ぶことがあります。

「そんな考え方があったのか」

「自分なら、その方法は選ばなかった」

「ひょっとすると、こちらの方がいいかもしれない」

そんな瞬間に出会った時、広がっているのは部下の可能性だけではありません。上司である自分自身の世界もまた、広がっているのです。

振り返ってみれば、部下を育てているつもりだった自分が、待つことを覚えた。

聴くことを覚えた。

自分とは違う価値観を受け入れることを覚えた。

失敗を許容することを覚えた。

そして、自分が正しいと思ってきた答えさえ、一度横に置いて考えられるようになった。

もしかすると、人を育てるという行為は、相手だけを成長させるものではないのかもしれません。

立場も違う。経験も違う。見えている景色も違う。

だからこそ、お互いが持っていないものを持っています。

違うからこそ、学び合える。

そして、その違いを受け入れた時、人は自分一人では決してたどり着けなかった世界へ進むことができるのではないでしょうか。

人を育てる人もまた、育てられている。

本稿では、部下を信じて待つという行為を、今度は「育てる側」の視点から見つめ直し、人と関わることが自分自身の器をどのように広げてくれるのかを考えてみたいと思います。

 

【目次】

1.経験は財産であり、ときに「枠」にもなる

2.口を出さないから、見えるものがある

3.経験が少ないからこそ、見える景色もある

4.部下を通して、自分の「器」を知る

5.「教える・教わる」から「共に育つ」へ

6.共創ソリューションズとしての価値

 

1.経験は財産であり、ときに「枠」にもなる

仕事を長く続けていると、さまざまな経験が蓄積されていきます。

成功した経験。

大きな失敗をした経験。

人間関係に悩んだ経験。

遠回りしたからこそ、ようやく分かったこと。

こうした経験は、簡単に手に入るものではありません。以前のブログでも書いたように、いくら本を読み、人から話を聞いても、自分自身が経験したことから得られる学びには、特別なものがあります。だからこそ、上司が自らの経験を部下に伝えることには大きな価値があります。しかし、ここで一つ気をつけたいことがあります。経験を積めば積むほど、私たちの中には「自分なりの正解」も増えていくということです。

「こういう時は、こうすればいい」

「これは以前失敗したから、やめた方がいい」

「この方法が一番効率的だ」

経験に裏打ちされているだけに、自信もあります。そして、いつの間にか、「自分は分かっている」という感覚が生まれてくる。そこから一歩進むと、「自分の考えの方が正しい」となってしまうことがあります。

経験は、私たちの器を広げてくれます。しかし同時に、その経験によってつくられた器の中だけで、ものごとを見てしまうこともあります。だからこそ、経験を積んだ人ほど、自分自身に問い続ける必要があるのではないでしょうか。

経験を積むとは、答えを増やすことなのか。

それとも、自分の答えさえ疑えるようになることなのか。

私は、後者までできて初めて、経験が本当の意味で「知恵」になるのではないかと思います。

 

2.口を出さないから、見えるものがある

部下が、自分とは違うやり方で仕事を進めている。経験のある上司から見れば、「そんなことをしなくても、もっと簡単にできるのに」と思うことがあります。そして、つい言いたくなります。

「私が昔やった時は……」

「それより、こうした方がいいよ」

もちろん、期限が迫っている時や大きなリスクがある時には、助言が必要です。しかし、すべての場面で答えを先に伝える必要があるのでしょうか。

少しだけ我慢して、待ってみる。

すると、部下は自分で考えます。試行錯誤します。遠回りもします。失敗することもあるでしょう。しかし、その過程で時として、上司が考えもしなかった方法にたどり着くことがあります。そんな時、

「なるほど、そんな考え方もあったのか」

と素直に思えるかどうか。私は、ここに育てる側の人間力が表れるように思います。自分が口を出していたら、その答えは生まれなかったかもしれません。

部下のために我慢していたつもりが、結果として自分自身に、新しい世界を見せてもらっていた。

口を出さないことで生まれた余白に、これまで自分にはなかった答えが入ってくる。

そう考えると、「待つ」という行為の意味も、また少し違って見えてきます。

 

3.経験が少ないからこそ、見える景色もある

経験が多いことは強みです。では、経験が少ないことは、単純に弱みなのでしょうか。私は、必ずしもそうではないと思います。経験が少ないからこそ、

「どうして、このやり方なんですか?」

「別の方法では駄目なんですか?」

と素朴に問うことができます。経験豊富な人にとっては当たり前すぎて、もはや疑問にも思わなくなったことを、経験の少ない人は不思議に思う。そこから、新しい発想が生まれることがあります。ベテランには、経験という財産があります。若い人には、既成概念に縛られていないという強みがあります。どちらが上でも下でもありません。持っているものが違うのです。

立場が違う。

経験が違う。

世代が違う。

価値観が違う。

だからこそ、自分一人では見ることのできない景色を、相手が見せてくれることがあります。違いを「未熟さ」と捉えるのか。それとも「自分にはない可能性」と捉えるのか。その違いによって、人との関わり方は大きく変わるのではないでしょうか。

 

4.部下を通して、自分の「器」を知る

部下を育てていると、実は自分自身と向き合わされる場面がたくさんあります。

自分とは違う意見を、最後まで聴けるだろうか。

明らかに遠回りしている部下を、待てるだろうか。

失敗した時に、「だから言っただろう」という言葉を飲み込めるだろうか。

そして、自分が思いつかなかった方法で成果を出した時に、「自分のやり方の方が良かった」ではなく、「その考え方は面白いね」と心から言えるだろうか。

人を育てるという行為は、思っている以上に、自分自身の器を試されるものなのかもしれません。特に、経験を積み、役職が上がるほど注意したいことがあります。それは、経験をひけらかさないことです。

経験の多さを相手より優れている証明に使うのではなく、相手の成長のために使う。自分が知っていることを語るより、相手が何を考えているのかを聴く。そして、「自分にも、まだ知らないことがある」と思える自分でいる。私は、それが「謙虚さ」なのだと思います。謙虚であるとは、自分を卑下することではありません。自分の経験に自信を持ちながらも、自分の経験だけが世界のすべてではないと知っていること。それができた時、人の器はもう一段広がるのではないでしょうか。

 

5.「教える・教わる」から「共に育つ」へ

上司は教える人。

部下は教わる人。

そう考えると、育成は一方向になります。しかし、本当にそうでしょうか。

上司は、自らの経験を伝える。

部下は、それを材料に自分なりに考える。

時には、上司とは違う答えを出す。

その答えから、今度は上司が学ぶ。

そして上司自身の考えも変わる。

こうなると、もはや「教える側」と「教わる側」という単純な関係ではありません。

互いに持っていないものを持ち寄り、互いの世界を広げている。

人を育てているつもりだった。

しかし振り返ってみれば、待つことを教えてくれたのは、部下だった。

聴くことを教えてくれたのも、部下だった。

自分の正解を疑うことを教えてくれたのも、部下だった。

そして、自分とは違う人を認めることを教えてくれたのも、部下だった。

そう考えると、人材育成という言葉の見え方も少し変わってきます。人を育てるのではなく、人と人とが、互いに育っていく。私は、そこに育成の一つの理想があるように思います。

 

6.共創ソリューションズとしての価値

この考え方は、私たち共創ソリューションズがお客様と向き合う時にも、大切にしたい姿勢です。

コンサルタントだから、答えを持っている。

経験があるから、自分の考えが正しい。

そう思った瞬間に、「共創」ではなくなってしまいます。私たちには、これまでさまざまな経験から得てきた知見があります。しかし、経営者には、その会社を長年経営してきたからこそ分かることがあります。社員には、毎日現場に立っているからこそ見える景色があります。そして、若い社員や入社したばかりの人だからこそ感じる違和感もあります。それぞれが持っているものは違います。だからこそ、まず聴く。自分の経験を押しつけるのではなく、一つの材料として差し出す。

「私はこう考えます。でも、皆さんはどう思いますか」

そこから対話を始める。そして、時にはお客様の言葉によって、私たち自身の考え方も変えていく。

それこそが「共に創る」ということではないでしょうか。軍師とは、すべての答えを知っている人ではないと思います。

自らの経験を大切にしながらも、それに固執せず、異なる知恵を持つ人たちと共に、まだ誰も知らない答えを探せる人。

共創ソリューションズは、そんな存在でありたいと考えています。

 

人は、経験を重ねることで成長します。失敗から学び、成功から自信を得て、自分なりの判断軸をつくっていきます。その積み重ねは、何物にも代えがたい財産です。しかし、経験を重ねれば重ねるほど、私たちはもう一つの問いを自分自身に投げかける必要があるのかもしれません。

「自分が知っている世界だけで、ものごとを判断していないだろうか。」

経験があるから、先が見える。

失敗することも分かる。

もっと効率の良い方法も知っている。

だからこそ、教えたくなります。それでも、あえて一歩引いてみる。

相手の考えを聴く。

自分とは違う方法を、いったん受け入れてみる。

そして、時には失敗することさえ許容する。

それは、部下のためだけではありません。その先には、自分一人では決して出会えなかった考え方が待っているかもしれないからです。

「そんな見方があったのか」

「自分の常識が、すべてではなかった」

「むしろ、こちらの方がいいかもしれない」

そう思えた瞬間、成長しているのは部下だけではありません。上司自身の器もまた、少し広がっています。人を育てるということは、不思議なものです。

教えているつもりが、教えられている。

待っているつもりが、待つことを教わっている。

相手の成長を見守っているつもりが、自分自身の未熟さにも気づかされる。

そして、自分とは違う価値観に触れるたびに、自分の世界が少しずつ広がっていく。

だからこそ、経験を積んだ人ほど、謙虚でありたいものです。謙虚さとは、自分の経験を否定することではありません。これまで歩いてきた道に自信を持ちながらも、「自分が歩いていない道もある」と知っていることではないでしょうか。

部下には、部下にしか歩けない道があります。

若い人には、若い人にしか見えない景色があります。

経験の浅い人だからこそ、疑問に思えることもあります。

それを「まだ分かっていない」と切り捨てるのか。それとも、「自分には見えていない何かが、そこにあるかもしれない」と耳を傾けるのか。その違いが、人を育てる人自身の成長を大きく左右するように思います。

私たち共創ソリューションズも、答えを教えるだけの存在ではなく、お客様と共に問い、共に考え、そして時には教えていただきながら成長していく存在でありたいと考えています。立場が違うからこそ、見えるものが違う。経験が違うからこそ、持っているものが違う。だからこそ、それぞれの知恵を持ち寄ることに価値がある。それが、「共に創る」ということなのだと思います。

人を育てる人もまた、育てられている。

そう考えることができれば、部下との関わり方も少し変わるのではないでしょうか。言いたい言葉を、少しだけ飲み込んでみる。答えを教える前に、「あなたは、どう考える?」と尋ねてみる。そして返ってきた言葉に、こちらも本気で耳を傾ける。そこには、部下の成長だけでなく、まだ知らない自分に出会う機会も隠れているはずです。

人を育てることに、終わりはありません。なぜなら、人を育てながら、自分自身もまた育ち続けているからです。そして私は、いつまでも人から教えられる人であり続けることこそ、人を育てる人に必要な人間力の一つなのではないかと思います。